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吉田簑助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉田 簑助(よしだ みのすけ)は、人形浄瑠璃の人形遣いの名跡


さんだいめ よしだ みのすけ

三代目 吉田 簑助
文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真
生誕 平尾 勝義(ひらお かつよし)
(1933-08-08) 1933年8月8日
日本の旗 日本大阪府
死没 (2024-11-07) 2024年11月7日(91歳没)
日本の旗 日本大阪市
国籍 日本の旗 日本
桐竹紋太郎(父)
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三代目 吉田 簑助(さんだいめ よしだ みのすけ、1933年昭和8年)8月8日 - 2024年令和6年)11月7日)は、人形浄瑠璃文楽の人形遣い、日本藝術院会員。大阪府生まれ。本名は平尾 勝義(ひらお かつよし)。

来歴・人物

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父は二代目桐竹紋太郎1940年6月に三代目吉田文五郎に入門し1942年3月に桐竹紋二郎と名乗る。翌年初舞台。1948年8月に二代目桐竹紋十郎門下となる。1961年6月三代目吉田簑助を襲名。1970年に芸術選奨新人賞を受賞。1994年人間国宝に認定。1996年には紫綬褒章、1997年には芸術院賞を受賞した。1998年に脳出血のため楽屋で倒れたが熱心なリハビリの末、翌年夏の公演で奇跡的にカムバックした。2006年には5度目のフランス公演を行い、2007年にはフランス政府より芸術文化勲章コマンドゥールを受賞した。弟子に三代目桐竹勘十郎がいる。文楽を代表する立女形として有名。2009年、文化功労者。2012年、日本芸術院会員に選ばれる。2021年4月、国立文楽劇場での公演を最後に引退[1]2023年秋の叙勲に於いて旭日中綬章を受章した[2][3]

2024年11月7日、大阪市内の病院で死去[4]。91歳没。

著書

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  • 吉田簑助、山川静夫『吉田簑助と山川静夫花舞台へ帰ってきた。-脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録』淡交社、2007年。ISBN 978-4473033789 
  • 吉田簑助『頭巾かぶって五十年-文楽に生きて』淡交社、1991年。ISBN 978-4473012005 

その他

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ドキュメンタリー

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脚注

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出典

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  1. ^ 同月公演の『国性爺合戦』の錦祥女役を最終日の4月25日まで務める予定であったが、25日の公演が緊急事態宣言により中止となったため、前日24日が最後の出演になった。
  2. ^ “旭日大綬章に片山虎之助氏 三浦友和さん、久石譲さんに小綬章―秋の叙勲”. 時事通信. (2023年11月3日). https://www.jiji.com/amp/article?k=2023110300161 2023年11月3日閲覧。 
  3. ^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日
  4. ^ 吉田簑助さん死去、91歳 文楽人形遣い、人間国宝”. 時事ドットコム (2024年11月8日). 2024年11月8日閲覧。
  5. ^ 人形遣い 吉田簑助 文楽の女にささげた81年”. NHK (2021年7月23日). 2021年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月25日閲覧。